りっとの部屋

映画とか、日常とか、ゲーム開発とかを綴ります。

朝焼け。

先日、ふと気になった本をAmazonで注文した。

「ナナメの夕暮れ」というオードリー若林さんの書いたエッセイ本だ。

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オールナイトも頻繁にでもないけど、聴いてるし、僕の尊敬するCreepyNutsもオードリーや、山里亮太さんと若林さんのユニット「たりないふたり」に少なからず影響されているはずだ。

 

多分僕も”そっち側”、間違いなく”そっち側”の人間だ。

 

”そっち側”というのは、俗によるコンプレックスの塊。

というか、多分単純にクソ野郎のこと。

 

今まで成功したとは言えない、むしろ消したい記憶が山ほどある。

そんな僕が、この本は多分僕と同じ思いが詰まってると無意識に感じ取れた。

 

読み始めてからものの2時間ほどである。

2時間で読破した。

中身もクスッと笑えるようなものもあれば、そんな話があるのかと思うものもあった。

 

ただ、それよりも共感が圧倒的多数の割合だった。

 

少し話は変わるが、先日Twitterを辞めた。

辞めたと言っても一時的に更新を止めているだけで、気が向けばそのうち戻るとは思う。

もしかすると勘違いしている人もいると思うので弁明しておくが、映画のネタバレツイートを見たからログアウトしたわけではない。

 

確かに最後のツイートはそうなっているけど。

 

元々、いつかあのアカウントを更新するのを止めようと思っていた。

 

簡単な話で、単純に疲れたのだ。

SNS疲れ。

嫌でも流れてくる政権批判やコロナウイルス対策批判。

見たくもない炎上に対する批判。

 

全部くだらないし、面白くない。

 

別に自分の意見を発信するなとか、Twitterは自由なはずだろ!とかそういうことを言いたいんじゃない。

単純に、もうそういうツイートを見て、自分に負荷をかけたくないのだ。

 

いつの間にか、自分の中で蓄積されて、それが重荷になっている。

そんな気がしたのだ。

 

というか、たかがTwitterに僕の行動する力を奪われたくなかった。

これだけ聞くと、SNSを言い訳にしているように思えるかもしれない。

 

ただ実際それが現実なのだ。

 

いいね!はやっぱり付けられたいし、リプだって飛んでくるのは嬉しいものだと思う(返信する気力はどうもないのだけど)。

 

ただ、空リプで何か言ってるのを見ると、自意識過剰だが全て僕に言ってると思ってるし、女の子が固まって話してて笑っていると、俺笑われてるって思ってしまう。

 

気にしすぎをこじらせた自意識過剰なのだが、これが結果的にTwitterにひどく反映されているわけだ。

 

じゃなきゃ、わざわざ寝れないからって深夜に部屋の電気もつけないで、酒を飲みながらブログなんて更新していない。

 

過去に二度、自分の過去とか弱さを書いたような記事があったが、もはやあれは氷山の一角にすぎない。

これはあくまでも僕の考えだが、人間は誰しも演技をしているものだ。

 

例えば、営業の仕事なら商談。

例えば、部活動ならアピール。

例えば、コミュニケーションなら、上辺を見せる。

 

今までずっと演技をして生きてきた。

自分を見せるのは怖いから。

 

自分の弱さを見せるのはダサいから。

 

弱いってモテないから。

 

少しでもいい人に思われたいから。

 

全て当然のことなのだと僕は思う。

 

最近こういった脚本を書く機会があった。

その脚本は、自分自身のために自分を別のキャラクターに仕立てて描いた。

 

だが現実は甘くない。

どんなにいい人ぶっても彼女はできないし、LINEなんて待ってても一部の友達とか先生だけだし、実際女の子なんてここ数か月話してすらない。

 

バイトでは一丁前に役職の立場だけど、実際は悪口なんて横行し放題である。

出勤しても、結局は指示にも従わない人間ばかり。

僕のカリスマ性の無さなのか、ただ嫌われてるだけなのか、それはわからないけれど、結局のところ、行きついた結論は演技しないよりかは演技するほうがマシなのだ。

 

演技しなくて済むのは、多分ずっと光ってる奴。

 

まだ20なのにと言われるかもしれないが、間違いない、。

僕は多分自分では光ることができない。

 

どんなに頑張っても凄い奴はいるし、どんなに追いかけても届かないものは届かない。

上手くいっても、光ってる奴の周りにいて光らされれるだけか、光ってる奴を陰から見つめることが多分僕の人生だ。

 

よく考えれば、これはかなり昔からこの傾向はあったのではと思う。

 

どんなに頑張っても届かない実力の持ち主はいたし、どんなに耐えても叶わないものは叶わない。

 

だから、多分社会人野球も辞めたのだと思う。

 

最近になって、時間を空ければまたやれたんじゃないかと思うことがある。

 

多分結果は同じ事だ。

どうせイップスになって辞める。

最近また投げれるようになって調子こいてるだけだ。

 

あーあ馬鹿らし。

 

でも、そんな僕でも、こんなクソみたいな社会不適合者でも、主演にはなれなくとも、助演ならなんとかなるんじゃないかと思える。

 

だからますは、弱さを。

今までよりも弱さを出して、ちゃんと認めたい。

これからも間違いなく演技は続ける。

生きていくうえで、演技が上手ければ得をするからだ。

 

だがその中で、自分の本心だけは殺してはいけない。

これは若林さんも本の中で語っていたことだが、そういう感情(本心)をそっと財布にしまっておく。

 

いつか僕にも、その引き出しが武器になるときが来るはずだ。

 

いや、もしかすると自然とそれはやっていたことかもしれない。

だが、僕がこの引き出しを使う機会は既に決まっている。

 

世の中には僕と同じようなクソ人間が腐るほどいるはずだ。

中心にいたいけどいれなくて、中心にいる奴を羨んで。

 

そんな人間に届くようなモノを創りたい。

今は、というか今後もそう思い続けるはずだ。

だからこそ、ちゃんとここに書いておこうと思う。

僕はずっと斜に構えて生きてきた。

多分これからも、ひねくれてるなと言われると思う。

だがそれでいい。

なんかそのほうが、僕自身で在れる気がするから。

 

僕の場合、ナナメの夕暮れよりも、今ようやくスタート地点に立てた気がするな。

じゃあ朝焼けになるのか。

 

多分今から日が昇って、日が沈むころにはまた違ったモノが見えてくるのだろう。

 

それまでは、ゆっくりと歩いて夕暮れに向かおうと思う。

 

 

 

りっと。

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