りっとの部屋

映画とか、日常とか、ゲーム開発とかを綴ります。

これは再生の物語。【100日間生きたワニ感想】

※この内容には、一部ネタバレを含む場合があります。
 また、個人的な感想のため、これが正解とかは一切思ってません。
 人によって、合う合わないはあるからね(:3 」 ∠)

 

今最も話題になっている、100日間生きたワニを観た。
久しぶりの映画館で、何を観ようかなぁと思っていたところ、たまたま時間がマッチしたこともあり、観てみたわけだ。

監督も上田慎一郎監督とふくだみゆき監督ということで、まあ観るかぁといった感じ。

正直、乗り気ではなかった。
どうせなら、ゴジラとか、ブラックウィドウとか、ポップコーンとコーラが美味しくなる映画を観て、気分良く帰りたいところだった。

そんなことを思いながら観たのだが、鑑賞後の感想は、

「え、これで叩かれるなら、君たちハリウッドとか、ぬるぬる動く高画質のアニメ映画だけが映画だと思ってないかい?」

だった。
とどのつまり、レビューは当てにならず、結局自分で映画館で噛んでみて正解だった。

 

原作自体は、ある程度リアルタイムで追っていて、100日目もエモいなぁと思いながら読んでいた。

映画自体は、そこから始まるのだが、原作を前半でおさらいしつつ、後半でその後を描くという分かりやすい構図。

これを60分でやってるので、不要な要素を省かないと描き切れないだろうなぁと思った。

ネットに転がっているレビューを抜粋すると以下の通りで、

・紙芝居
・動かない
・カエル
電通
作画崩壊

ざっとこんな感じだろうか。
あくまでも個人の主観でしかないため、僕が見て感じたものや、考察なども交えていきたい。


紙芝居レビューについて

最近のアニメ映画は、作画が本当に綺麗で、目が疲れるくらい綺麗なものが主流になっている。
ヴァイオレットエヴァーガーデン・シンエヴァ新海誠作品・・・
上げだすとキリがないのだが、こういった映画は、カットの切り替えが多かったり、アニメーションがぬるぬる動いたり、ライティングだったり、フォトリアルな表現が多いわけだ。

一方、100ワニは、原作のきくちゆうき先生のテイストに寄せている。
寄せているというか、まんまだ。
それが故に、確かに画に迫力がなくなってしまうのは仕方のないことで、いい意味でも悪い意味でも、観ている側の目が肥えてしまったように思える。
個人的には、このテイストの映画を観ることで、むしろ気軽に観ることができた。
ほのぼのした感じも、あたしンちとか、そういったものを彷彿とさせる。

そのため、「動かない」や、「紙芝居」というのはそういったところなのかなと感じた。
(むしろいきなり高画質のライティングとか、カットバンバン入れてたら、全く別物になってしまうので、原作を蔑ろにしてしまう。)


オリジナルキャラクターカエルについて

後半から登場する100日後のお話の軸になるカエル。
キャラクターとしては、大半が「ウザい」と思ってしまうような役どころで、チラホラとこのカエルを好きになれるかどうかで、変わってくるというレビューも見た。

これについては、後程詳しく記述するが、上田監督作品の特徴を知ると、ワニとカエルの関係性というか、カエルを導入したのかが見えてくるのではと思う(あくまでも主観)。

 

作画崩壊について

レビューでよく見たのだが、特別気になるような箇所はなかった。
作画崩壊だらけという人は、多分きくちゆうき先生のテイストというか、描き方がもしかすると合わないことが原因かもしれない。

構図も似たようなものばかりというのも、原作準拠で描いており、キャラクターの日常を切り取る物語であるため、構図が似て当然かなと思える。

むしろ、要所要所で、実写のカメラワークを導入しており、前半でも後半でも登場する山道のツーリングは、演劇の上手下手を活かして、ネズミ自身も100日後から、あのワニとの思い出に戻るという演出を凝らしているのではと思っている。

というか、多分実写のカメラワークに全体的に寄せているため、あの構図になるんじゃないかなぁと思う。

 

(しかもふくだ監督アニメーション監督だし、そのへん気を付けてると思うんだけどどうなんでしょう)

 

上田監督作品の特徴「再生」

上田監督の過去作は、大半以上で何かしらの再生を取り扱っている。
「恋する小説家」では、ヒロインを通じた主人公の小説家としての再生。
カメラを止めるな!」では、家族の再生や、映画監督としての再生。
スペシャルアクターズ」では、主人公の再生。

 

と、とにかく再生が多いのだ。
それ故に、今回も実は「再生」が取り扱われている。

その「再生」のキーマンとなるのが、先ほど登場した「カエル」なのだ。

 

上田監督作品には、不器用なキャラクターが必ず出てくる。
それこそが、今作の「カエル」になる。

 

このカエルは、俗に言う陰キャ陽キャを演じるようなキャラクターで、多分自分がやられると相当キツいだろうキャラクターになっている。

そのカエルの努力というかキャラクターは、周りからすると疎ましく、特にワニが死んだあとの話で登場するため、周りからすると、さらに厄介な存在なのである。

 

ただ、これがやらしいのだ。
何より、周りにもこういう人が山ほどいるからである。

悪い奴じゃないんだけど、空回りする奴。
不器用ながら頑張るんだけど、何やってもうまくいかない奴。

ここに共感して、自分たちの今に照らし合わせて、現実とリンクするかどうかなのかなと思うわけだ。

 

だからこそ、このカエルの存在、そしてその後のネズミやモグラといったキャラクター達のその後を描くことができる。
あの世界で、ちゃんとみんなが生きているという表現になる。

それは同時に、今の我々もそうなのではと思う。

コロナという状況で、簡単に人に会えなくなったり、制限がかかって、2019年以前の生活には戻れなくなっている。
前半のあの日々、そして後半の日々は、どこかこんなのんびりしている日々になればいいなぁと思ったのだ。

恋人と映画に行ったり(これは僕のせいですね)、花見をしたり、ラーメンを食べてまた行こうと言ったり。

映画は、どこか自分とリンクするからこそ、共感し、楽しむことができるものなんじゃないかと思う。

妙な間や、カットも、実写に近づけているからこそ、こう感じるものだろうなと思う。

 

 


僕は100ワニ、嫌いじゃなかったです。
むしろ、上田・ふくだ監督がうまく構成、キャストやスタッフも最大限の注力をした、観やすい映像作品だなと思いました。

 

 

りっと。