タイムマシンと配達人
このブログを始めてから1年と3か月ほどが経った。
始めは、このブログの一番初めの記事である、「カメ止めの舞台に行ってきた話」を纏めるだけだなんて思っていたけれど、気が付けば20本近く記事を書いていたらしい。
たまに、アクセス数とか見たりするのだが、初めの頃よりもアクセス数が少しずつだが伸びてきている。
大半は僕のTwitterから、こちらに飛んでいる方が多いようだが、中には検索欄からヒットさせる猛者もいるらしい。
人気記事みたいなランキングを見ると、一番上に来るのはまさかの夏休みのことについて書いた記事だった。
内容を見返しても、大したことは書いていないし、どこがヒットしたんだとしか思えなかった。
もしかすると、CEDECに行ったよっていう中身のない話をしてしまって、CEDECで検索を掛けた人がこのブログに辿り着いてしまったのかもしれない。
だとしたら、時間の無駄であったことをとても申し訳なく思うが。
過去のブログを見返していて、圧倒的に文の書き方が変わった。
当初は、どこにでもあるブログみたいな感じで、分け隔てなく適当な文章だったが、最近は完全にエッセイを書くように、比較的まとまった内容を書いていた。
「(笑)」とかが一切ない、そんな文章になっていたり、この頃はこんなことを思っていたのかなんてことを思いながら読み返した。
以前のツイートで、こんな黒歴史ブログはいつか絶対に消してやるなんて言ったけれど、今見返しても、所々本当に当時の自分を殺したくなるような文章を書いていた。
戒めとして、今でも残しているのだが。
そもそも、ここまでブログが長続きしたのも、もしかすると、自分の中での気持ちの整理の方法なのかもしれない。
なんか以前も誰かに話したり、書いたような気もするのだが、よく、「一度話す前に頭の中で整理してから話しなさい」とか、「文にすると、意外とこう思ってるんだなって分かるよ」とかってのを、聞くことがある。
かくいう僕も、文字に起こしてみると割とスラスラ出てきたりして、結構毒抜きになったりするのだ。
僕の場合、日記をつけたりするのがとても苦手で、アナログ媒体に書き込むとなると、それを見返した時に、自分自身が描いたということが丸わかりで、とても恥ずかしくなって見れなくなってしまうのだ。
逆にデジタル媒体であれば、自分が書いていても、機械的な文字なのでそんなにダメージはなく、むしろ客観的に見ることができる。
当然前述の通り、結局は自分が書いていることに変わりはないので、自分に対する嫌悪感は少なからず出るのは確かなのだが。
似たようなもので、昔野球をやっていた頃、野球ノートというものを作ったことがある。
元々サボリが常習化していた人間だった僕は、長続きするのがとても嫌ったのだが、これだけはちゃんと続けた。
とはいえ、所々抜けはあるけれど。
野球ノートの中身は、その日の練習で注意されたことを書いたり、感想だったり、打席の結果なんかを書いたりしていた。
毎回父親に見せるのだが、大体四分の一くらいで怒られる。
字が汚いとかは勿論、内容も足りていなかったり、何回注意したら気が済むねんなんて言われて殴られた。
今思えばとんでもなかったななんて思うが、当時はそれが普通だと思っていて、他の親はなんで自主練させなかったり、こんなに激甘なんだろうなんて思っていたくらいだった。
今となっては、この野球ノートも、思い出の一ページで、別に振り返ることもないのだが、アナログで書いていたからこそ、色あせるものがある。
こう考えると、もうあれから10年以上経ったんだと思った。
今となれば、土日は競馬をして父親とテレビの前で叫んでハイタッチをしているくらいだから、当時じゃ考えられないことだった。
ある意味、ブログも野球ノートも、タイムマシンなのかもしれない。
昔と今の自分を繋ぐ、それも自分の考えを繋いでくれる、思い出とは少し違うピースだなと思うわけだ。
昔は車酔いが激しくて、15分乗ったら酔っていた。
今は車酔いを克服して、ドライブしながらラジオを聞いている。
ドライブしながら、音楽も流さずにひたすら誰もいないのに、一人でラジオのようにしゃべり続けるなんてこともある。
結局、その一瞬に思った考えなんて、すぐに忘れてしまう。
どうでもいい話なんかは、車の中で、一人で消化して、使えそうなら友人との話のタネにして、それ以外のものは、ブログやノートに頼って、未来の自分に届けてもらう。
最近エッセイ本を読んでいて、エッセイを書ける人はそれなりに感受性豊かで、不満や喜びをいっぱい抱えている人だと思った。
そういう人ほど、生きづらかったり、もがいて苦しんだりして、少しの幸せを感じているように思える。
考えを伝えるタイムマシンは、もしかすると、自分に少しの幸せを届けてくれる、配達人でもあるのかもしれない。
りっと。