りっとの部屋

映画とか、日常とか、ゲーム開発とかを綴ります。

デビュー失敗。

昔から、周囲とのズレに悩んでいた。

 

昔はちょっとしたことですぐ泣いていたし、見るテレビも、生活周期も規則正しすぎたが故に、テレビドラマの話なんか全くついていけなかった。

 

ゲームもそうで、小学生の頃は30分、長くて1時間と決められていた。

 

父親が昔から本当に怖くて、高校受験期間中も、机の引き出しに隠しながらやったりもした。

 

勿論何回もバレてこっぴどく怒られたけど。

 

遊ぶ暇があるなら、勉強や練習をしなさい。

 

そんな家庭で育ってきた。

 

そんな僕は、下ネタすら知らず、可愛い男性器の呼び方や、うんこが最高の下ネタだと思っていた。

 

周りはそんな僕を置いていくかのように、色んなことを吸収していた。

 

勿論下ネタも例外ではない。

 

中学生になっても、ズレは変わらず、キャラがないといけないと感じた僕は、中学の所属していた野球チームの柄に合わせて、悪い奴になろうと思った。

 

今考えれば、とんでもない悪手である。

 

加えて、とても痛い。痛すぎる。

 

その後、周囲のオタクな奴らに影響されて、今度は俗にいう二次元の世界に触れ始めた。

 

当時、リーガルハイが流行していたり、ライアーゲームが好きだった僕は、喧嘩よりも口論で勝てれば世間的にうまくやれるのではと考えたのだ。

 

これは実際、痛いことには痛いのだろうが、実際今のSNSを見ていると、過去の自分がうじゃうじゃいて気持ち悪い。

 

今も稀に、自分の意見を発信することがある。

 

俗に言う、社会に切り込むマンだ。

 

だがこれもこれで、周りからは避けられる対象になる。

 

高校に入って、中学デビューを華麗に失敗した僕は、地元の中学からは一人しか行っていない高校に行くことになった。

 

僕の学力は、先ほどの悪い奴というキャラのせいで、授業は寝てばかりで、サボリ癖がついていたせいで、学力はざっと偏差値40あるかどうかだった。

 

それでも、入試の二週間前に、平方根が何たるかを理解し、公立校前期入試でルートの計算ができたときには感動したものである。

 

苦労したからこそ、なんとしても失敗は許されなかったのだ。

 

だが、またしても失敗した。

 

昔から様々なことに影響を受けてきたせいで、高校時代に日本語ラップにドはまりした。

 

Creepy Nutsを高1から聞き漁り、見事なまでに、R-指定とDJ松永のキャラに毒されたのだ。

 

その結果、花形部活の野球部で、超がつくほどの捻くれナナメ尖り野郎が爆誕したのだ。

 

しかも野球部なのに、女子とは微妙にしか話せず、これも失敗したと思っている。

 

そもそも、小学生の頃は女子から嫌われていたし、中学は言わずもがな上記のことが原因で、女性と話す経験が極端に欠落していた。

 

さらに今後の人生で、高校生活が女性とお話しする機会が人生の中で最も多く、今なんてほぼ皆無に等しいからだ。

 

過去に戻れるなら、中学あたりまで戻って強くてニューゲームしたいものだ。

 

話は戻って、そんな僕にも、人生初彼女ができたことがあった。

 

これが花形部活効果か!

 

と、実感していた。

 

高1の秋口は、僕にとってかなりうまい方向に進んでいて、部活はレギュラーだったし、彼女もできたし、今もお世話になってる団体との出会いがあったりと、今の僕に直接的につながることが多い。

 

だが、人生初の彼女も、あっさりとデビュー失敗する。

 

内容は伏せるが、いやこんな昼ドラ展開高校で味わうのかよ!って真実を知ったときに絶句した。

 

その五年後に、またもや昼ドラ展開を喰らわされるのは、また別の話だが。

 

そんなこんなで、高校生活では仲良くしていた友達も、会えば会話する程度で、今も連絡を取っている奴なんてほんとに数人しかいない。

 

そして高校を卒業して迎えた大学デビュー。

 

大丈夫、俺はもう何度もデビュー失敗してる。

 

だから失敗しないノウハウはもう掴んでいる。

 

とても簡単なことで、キャラをガチガチに固めると失敗するのだ。

 

加えて、引きすぎるのも、攻めすぎるのもよくない。

 

この塩梅が難しいのだが、僕にはある自信があった。

 

当時、僕は社会人野球も同時に選手としてプレーしていたことに加えて、学校がどちらかと言うと「陰」が集まる学校だったこと。

 

花形部活に所属していたことや、高校時代までの経験から、絶対的な失敗しない自信あったのだ。

 

だが、ここまで考えていた僕の発想は、この大学という場所では通じなかった。

 

というか、僕が何もしなくても、勝手に周りが爆発していった。

 

ざっくり説明すると、基本的に大学デビューでやりがちなのは、制服から私服登校に変わることにより、ファッションセンスが必要になる。

 

そのファッションセンスを飛躍的に上げようとした奴が、いきなりテーラードジャケットとかを着てくるのだ。

 

そして髪型。

 

頭髪の奇抜さだけではなく、パーマを当て、カラーを入れる。

 

しかも茶髪で止まってればまだしも、ここで青や赤、紫とか入れてくると確実に死ぬ。

いやほんとに死んじまうのだ。

 

とはいえ、ここはルックスがあれば生き残れる可能性もある。

 

が、先ほども言った通り、「陰」なのだ。

僕含めた「陰」が上記のことをしてしまうと、確実に合わないのだ。

 

圧倒的違和感。

 

それが周りを見渡せばいっぱいいた。

 

絵にかいたようなオタクって感じの服装もいて、これ何もなくてもデビューできるじゃんと感じた。

 

初めて、大掛かりなデビューに成功した瞬間だった。

 

だがその裏でデビューに失敗していた。

 

そう、野球の方だ。

 

高校野球を引退して、しばらく草野球をしていたが、どうも肌に合わず、もっとピリッとした環境でやりたいと感じたのだ。

 

その結果、当時の顧問に紹介され、社会人野球の道へと進むことになった。

 

元々続けても1年、もしくは2年と決めていたので、高校からの延長戦のつもりだった。

 

だが、ブランクが大きかったのと、毎日練習できないこともあり、高校時代とは打って変わったプレースタイルになってしまった。

 

結果、アンダースローで期待されすぎて、開幕投手に指名。

 

3回2失点のほろ苦いスタートになった。

 

ここでもまた、デビューに失敗したのだった。

 

思い起こせば、色んなデビューを失敗してきた。

 

運転デビューも失敗したし、記憶に新しいことで言えばコンテストデビューも失敗した。

 

失敗の連続だった人生だった。

 

この流れ、僕は既に勘づいている。

 

小学・中学・高校・大学・社会人野球デビュー、1勝4敗。

 

大きいイベント毎の勝敗は大きく負け越している。

 

就活デビューや社会人デビューは、本当に大丈夫なんだろうかと思う。

 

だが、ついこの間、学生生活で最大とも言える失敗をぶちかました。

 

このことは、秋口にブログに書くか、もしくはもっと後にでも公開しようと思うが、その失敗に比べれば、これ以降の失敗は正直敵ではないと思う。

 

この前、映像制作の有償依頼が来た。

勿論二つ返事で請け負った。

 

有償案件なら流石にクリエイターを名乗ってもいいのではと思う。

 

クリエイターデビューは失敗できないな、責任もあるしな。

 

畜生考え事してたら、ピザで手を火傷してしまった。

 

クリエイタデビューよりも、親を起こさずにピザを焼くデビューに、失敗したかもしれない。