またオトナになりました。
「〇〇さん顔が死んでますよ?」
最近バイト先で一日一回は聞くようになった。
どうやら僕の顔の怖かったり、何かあるように思えるほど暗い顔をしているらしい。
僕自身、意図してその顔をしている訳ではなくて、自然とそうなっているのだ。
そして、何よりもこの一件の問題は、人が本気で怖いと思ってしまってることにある。
以前学校でも、椅子から立ち上がる時の顔が怖い。
とか、人を殺すような目つきとか、高校の帰りに他校のギャルに、自転車で何メンチ切ってんねんと通りすがりに言われたこともあった。
そうか、僕はどうやら怖い顔らしいと自覚し始めて、バイト先では接客用の顔しかできなくなったし、基本一人でいるときの顔、つまり普通の真顔を他人の前に出すのがとても嫌になってしまった。
気を抜けばいつでもその真顔が出現するので、バイト中なんかはよく言われるようになってしまったのだが。
とはいえ、自慢でも何でもないが、バイトでは役職をいただいているので、時間帯の仕切りを任されることも多いわけだ。
上がそんな顔をしていたら当然下も、何かあったのかなと思うのは至極全うのことで、むしろあの人今日機嫌悪いからみたいなので仕事が疎かになる可能性だってある。
だからこそ、基本的に真顔を晒すというか、本当の自分を晒すというか、そういったことが怖くて仕方ない。
女の子が複数いる現場なんて今でもチョー怖いし、笑ってたら自分笑われてるって思うし、誰もお前のことなんて気にしてないのに人一倍敏感になる。
でも最近思うことがある。
そうか、こうやって周りのことを考えて、自分を隠すというか、周り主義になることはオトナになるということなのかと。
オトナというところから、最近本当に歳を取ったのか・・・と思うことがあった。
”結婚”だ。
基本、インスタは高校時代の知り合いとか、中学時代の知り合いとか、そういった直接的な関わりがある人のみを見ている。
そんな中、高校の同級生が幸せそうに、妊娠したことを上げてていたり、付き合い長いカップルとか、高校時代から覚醒して、なんか手が届かないような人になっちゃた人もいる。
正直、後者の方は別にどうでもよくて、もっと若造だったときにもそういった奴はいたから、別に特別実感することはなかった。
だが、結婚だけは、法律で16、18以上じゃないとできないし、それこそ20歳というのは人生の大きな一区切りなのだ。
恐らく、このブログを読む層は、僕より年齢が上な人が圧倒的多数なので、
「おいおい、お前はまだ若いし20じゃん!」
というツッコミが待っているはずだ。
とはいえ、ここまで20歳で変わるのかと思った。
10年前なんて小学校で二分の一成人式なんてやってたのに、成人式を成人していないのに迎えて、20歳になったと思ったら、もうそんな歳になったのかと思ってしまった。
同時に、これ俺結婚できないだろ!という思いが込み上げてきた。
女性との出会いが一番多かったはずの高校でできた彼女とは別れたし、今の学校もこれから先の社会でも、恐らく出会いの機会がそもそもない。
これは今のバイト先の人と話していたのだが、これはここで探して作るしかないぞ!なんて話にもなったこともある。
いやそれは無理でしょ~なんて言いつつも、この結婚という文字がちらついているから、恋愛は大事なんだなとも思う。
が、恋愛をするとどうなるかというと、よく言うのが面白くなくなったというものだ。
僕の場合特殊で、尖りの時期が高校がマックスなので、彼女ができたからあの尖りがなくなったというのはないのだが、彼女と別れてからノンストップで制作を続けてこれたのも、どこかその、劣等感というか、ルサンチマンというかそういったものを再び思い出すことができた。
前作のシナリオなんて、間違いなく別れていて、この心理状況だったからこそ、描けたものだと思っている。
だからこの、恋愛と制作という僕にとって相反するものを、どうにかミックスできないのかと思う。
何言ってんだお前って言われるかもしれないが、
だから周りには、
「いや~でもさ、俺恋人ができたらクリエイターとして死ぬ気がするんだよね。」
と言って、自分があたかも興味あるけどできないんだよねという謎のハスりを見せてしまうのだ。
だがしかし、やっぱりスーパー行くときとか、それこそバイト先とか、手を繋いで幸せそうにしてるカップルとか見ると、
ほんとに、
「あ~、恋愛楽しいだろうなぁ!(大声)」ってことをひたすら心の中で叫びながら、僕はひたすらその場にあった顔をしてごまかす。
高校の頃なんかは、普通に彼女欲しい~なんて周りと笑いながら言い合ってたけど、今は前の顔の話だったり、妙に結婚をありもしないのに意識したり、いつの間にか、オトナなっていた。
オトナになるって、めんどくさい。
りっと。