人生何があるかわからないお話。
めっちゃ暑くないですか・・・?
学校はクーラーガンガンだし、外に出たら太陽がぐわーんってなってるし、僕の居場所は地中なんじゃないかと思い始めました。
てか地下鉄って最高にわくわくしません?
べつに理由はないんですけど、地下鉄を舞台にしたアドベンチャーゲームとか絶対面白いと思うんだよなぁ。。。
恒例の前置き長いやつね(4つ目の投稿にして)
今回は人生が変わる出会いを実感したので、残しておこうというわけです。
僕が去年の8月に出会った映画と、それを作り上げた人たちに人生を変えられた。
そういうお話です。
というかそもそも、普通ブログ始めるときに自己紹介とかあるんですけど、全くやっていないので、これさえ読めばどんな人生だったかがざっくりわかります(知らんけど)。
時間がない方は3へ飛ばすと大丈夫だよ。
初めに言っときますけど、
間違いなく自分語りが入ると思われます。
苦手な方はゲボ袋を準備するんだ!!!!!!
1、ざっくりとこれまでを振り返る
家族の長男として生まれた僕は、間違いなくいいDNAを継いでるはずでした。
詳しくは書けないけど、某競技で日本一になった父と、学生時代某競技で全国2位になった母の子ですからね。
きっと運動神経抜群で、優秀な子供なんだろうな・・・
と、がっつり親の期待をさっくり裏切ります・・・w
元々運動神経もあまり良くなく、偏差値も高校時代は40台の高校。
はっきり言ってダメ人間が誕生しました。(すまんな親よ。)
挙句やりたいことは全てお金がかかるという恐ろしいヤツだったのです。
しかも、罰当たりなこともかなりしましたし、自分の為なら平気で嘘をつく。
そんな糞人間だったのです。
それに父親の影響を受けて、競馬が好きになったのもこのへんです。
世代的にディープインパクトなんですよ。
レゴとか、プラスチックの積み木っぽいのを組み合わせて、自分で競馬っぽくやって、実況もやってたのが本当に黒歴史だと思います。
しかも、決まって勝つのはやっぱりディープでした。
アドマイヤジャパンは絶対に何があろうとディープに差されるのがりっと幼少期の競馬でした。
あの頃はすっごい純粋で、服部緑地にJRAの乗馬場があってそこにも連れて行ってもらいました。
また行きたいなぁ。
でも、やっぱり糞人間です。
今もかもしれないけど。
ただ、そんな人間にも一つだけ夢がありました。
それはプロ野球選手になること。
はっきりとは覚えてないんですけど、幼稚園でも周りを巻き込んでバットを作って野球をやったり、粘土で野球場をつくったり。
小1から地元の少年野球に入って野球を続けました。
最終的には中学、高校、そして短い間でしたが、社会人野球の世界にも飛び込みました。
中学の頃は今みたいなガタイではなく、本当に小さくていじめも受けるような始末だったんですよね。
チームも中学じゃなくて、外部の、それも体罰がガンガンなチームなわけでして。
当然レギュラーでもなく、外の学校に行く気力も起きなかったので、府立高校でのんびりと最後の野球人生を楽しむって感じでした。
そのころに、恩師である先生と出会って、アンダースロー(牧田投手に憧れて)に挑戦させてもらったり、体育祭の応援団長をやらせてもらったり、某チームの応援団に所属したのもこのとき。その人との出会いも本当に凄いこと。面と向かって言えないけど本当に感謝してます。文化祭用の映画を監督して役者もしたりとか本当にいろいろとやらせてもらいました。
そのへんから感覚が狂い始めたというか、周りとのズレというかそういうのを感じ始めました。
野球もそうなんですけど、周りとやってる土俵が違うので考えもズレがでたりとかしたんですね。
高校はそのズレとか、単純にモテなかった。
そのころからCreepyNutsを聞き漁って、ヒップホップに染まって、考え方は完全にRとDJ松永の二人に染まっていきました。
試合前には合法的と、刹那、そしてトレンチコートマフィアを聞いてからアップする。
これがルーティンになって、完全な社会不適合者になりました。
考え方もめっちゃひねくれていきました。
そういう過程があるなかで、人生の道を決める時が来ました。
高校ならあるあるの進路です。
妄想の中では西武の抑えをやってるイメージだったんですけど、別にやりたいことがありました。
それが今につながっています。
ただ、僕は二つの道に悩んでいました。
映像の世界とゲームの世界。
最終的に僕はゲームの世界に飛び込みました。
ここの過程は省きますが、僕にとって所謂VRというのが僕を動かしました。
それで今の学校でゲーム制作の勉強をしてるってとこにつながります。
ここまでで、
・野球をやってきたこと。
・進路で二分岐でしたこと
・はっきり言って糞人間だということ
が、わかってもらえたかなと思います。
2、野球を諦めた話
野球はさっきの話の通り、13年かな?・
現役で続けてきました。
ちょうど引退を決意したのが確か8月。
理由は色々あるのですが、一番の理由は所属したチームでやりたくなくなったから。
人の悪口を平気で言う。
上の人間の言うことは絶対。
監督もそれに同調する。
このやり方に入団時から納得いかずに、とうとう調子もがっつり崩して、心は完全に沈み切りました。
当然いい人もいましたが、僕にはチームという形で受け取ることができなかった。
言い訳だと言われると確かにそうなのだと思います。
ただ、これにはもう一つ理由がありました。
肩の痛みです。
高校時は二刀流で、野手も投手もでしたが、社会人では投手のみに専念しました。
そして、数か月野球から離れていたので、おそらく体がついていかなくなったのでしょう。
僕の全身全霊を込めて戦っためっちゃ有名な社会人チームにも、全く力が及ぶことはありませんでした。
僕の中では、むしろここまで来れて幸せだと思ってしまった自分がいました。
そう思ったことに気が付いた僕は、もう本気で野球をやることを諦めました。
そう思った段階でこれ以上の進歩はないと思ったから。
こうして、13年間続けてきた本気の野球人生はここで幕を閉じました。
コーチからはチームで唯一NPBを目指せるとか言われてたみたいですが、呆気なく裏切ってしまったみたいです。
3、人生を変える出会い
野球から離れることを決意して休部したのが7月後半。
8月に入ると、学生の敵であるテストがやってきます。
確か学校の地下の小部屋で友人と勉強してたときだった気がする。
学科で一番の先生に
「カメラを止めるな!って映画知ってる?
ほんと詳しくは言えないけど、マジで面白いの!ほんと観て!」
予告編も見せられ、とにかく面白いんだなぁって思いながら、でも最近映画館行ってないし、行くかぁって思って初めて行ったのが8/13だったはず。
というかその前日に行こうとしたら全部満席だったのよ!
朝の段階でほえ~ってなって親にクレカ借りて予約してやっと観に行けた。
⇩そして初めて観た後の感想がこれ⇩
びっくりした。
こんな映画があるのかと。
エンディングで震えた。
正直うん、面白い!って感じだと思っていたのに、そこで止まらなかった。
終わった後の爽快感と、え?もう終わっちゃうの?もう少しだけっていう名残惜しさ。
衝撃だった。
電気が走った。
今までこんな映画に出会ったことはなかった。
誰かにこれを伝えようと思ったけど、だれにも伝えられない。
ネタバレ厳禁だから。
終わった瞬間に先生にLINEを送った。
数日後もう一度観に行った。
やっぱり笑ってしまった。
そして作中で着ているTシャツも買いに行った。
いつしか僕はカメ止め感染者と呼ばれる人間になっていた。
野球を諦めた僕にとってオアシスのような映画だった。
誰も悪くない。
誰もイケてない。
だが、それが素晴らしくこの映画を盛り立てているのだと。
今思えば、先生が薦めてくれなかったら見ることはなかっただろうし、今の僕は多分落ちぶれていた学生になっていたと思う。
それも、映画が好きになれていなかったから。
映画は好きだ。
でも、映画が好きだと言えるような映画は見ていないし、映画館で観るのもシネコンでドラマの延長線上の作品を見る程度。
だが、この映画で変わった。
いつしかこの映画を。
この映画に出ている人たちを追いかけるようになった。
その結果が、カメ止め展や東京でのファンミーティングにつながったのだと思う。
いつしか映画を撮りたい。
もう一度映画を作りたい。
そう思うようになってきた。
それからは、カメ止めに限らず、
「カランコエの花」や「あみこ」、上田監督の作品はほとんど観たし、ふくだみゆき作品も観た。
つまり、ミニシアターに触れ、インディーズ作品に触れ始めた。
完全にカメラを止めるな!という作品に人生をいい意味で”壊された”のだ。
失ったものは大きかった。
時間もお金も。
そして大好きでずっと続けてきた野球というものも。
全て投げて、逃げて、その先にあったものが映画だった。
カメラを止めるなという作品に何もかも変えられた。
もちろん恨み文句じゃない。
たくさんいろんな人と出会った。
何を考えてるかわからないけど、すごい演技をするアカデミー男優。
その人の演技を目の前で体験することもできた自分。
劇中で強烈すぎるアクションを披露して、どこか雰囲気が母親と似ている女優。
その人におこがましく、ファンミーティングでポンッ!をさせてもらった自分。
今まで見た役者で一番自分が応援したいと思えた女優。
その人に名前を覚えてもらえて、写真を撮ったり話せたりできた自分。
初めて行った舞台挨拶でめっちゃイケメンやんって思った役者。
それでいきましょう!の声があまりにも好きすぎて、かっけぇってなった役者。
インフルエンザをずっといじってくるけど、最高に面白い大阪の役者。
なんでこんなに優しいのかと、この人のやさしさにずっと触れたいと思ったぐわーんの役者。
女子大生だったのに、演技に挑戦してロサの最後の上映で初めて会えた人。
今度おすすめのラーメン教えてほしいなぁって思ってる役者。
個性が爆発してて舞台挨拶が漫才になるおばちゃん。
カメ止めはディ●ニーとの迷言を残した役者。
山崎節はいつ聞いても飽きないし、何故か叩かれることの多いメガネゾンビ。
たったワンシーンなのに、印象に残るババァ(佐渡さんごめん!!)
この人にならなにされても誰も言えないだろうなぁって思えるくらいのキャラクターの女優。
裏方の役でも存在感たっぷりの血の番人。
パネルと顔がまんま一緒すぎる人。
この人の作品で何も得れなかったものはない映画監督と、その妻のこちらもめっちゃ面白い監督。
そして初めはわからなかったけど、今となっては本当に尊敬と、一緒に何か面白いことがしたいと思う鉄人。
出演者だけじゃない。
いっぱいいろんな人がりっとさんですよね?と声を掛けていただいた。
誰が言い始めたのか、いつの間にか関西の宣伝隊長とかってのも言われた。
そして今となっては、”みぽりん”の監督である松本監督にも名前が届いていたようだった。
カメ止めとの出会いが人生を変えた。
僕のやりたいことが本当に明確になって、いろんな人との縁ができた。
映画のカメラワークとかライティングを勉強し始め、そういうのをゲームに生かせる勉強も始めた。
それが功を奏したのか映画の見方が変わった。
カメラワークも楽しめるようになった。
4、出会いはこれにとどまらない
カメ止めが繋いだ縁は感染者やキャストだけではない。
今お世話になっている、映画チア部もそうだ。
ハリウッド大作戦の関西先行上映会がきっかけだった。
曽我さんからも紹介があって、入部を決めた。
チア部の方々は皆映画が大好きで、僕なんかよりもはるかにインプット量が多い。
それゆえに僕も刺激を受けることが多いので、勉強になる。
それに、あまり会議には行けてないけど、皆といる空間がとても楽しい。
さらに、みぽりんの松本監督もそうだ。
縁があったからこそ、今爆発的に伸びてきている。
松本監督が知ってくれていた。
そのことだけでもうれしい。
だからこそ、僕はこの映画に恩返しをする。
松本監督が関西の宣伝は任せたと言ってくれているけれど、僕は松本監督の期待以上に働くつもりだ。
その縁を大切にしたいから。
昔は縁なんてものは信じなかった。
時間が経てば話さなくなるし、それで落ち込むくらいなら関わらない方がいいなんて思ってた。
でも違った。
今は繋がった縁は切りたくないと思っているし、できる限り友好的に、且つ面白いことをできたらなと思っている。
だからカメ止めもみぽりんも善意じゃない。
僕がやりたいからやる。
映画から、というより、映画の作り手に触れて、やりたいことがどんどん明確になって、野球じゃなくても色々と楽しめる道ができた。
それは当然学校の友達と過ごしたり、つながるはずのなかった大人たちとの交流、そして映画という存在。
カメラを止めるなのキャストやスタッフ。
全部が繋がって、今の僕を作っている。
間違いなく、今の僕を作っているのは映画の力だ。
当然学生生活の中で、チア部を通じて還元もするし、来年の夏には作り手としてもう一度映画を撮りたいとも思っている。
映画だけじゃない。
映画のようなゲームも学生生活をつぎ込んで作りたいとも思っている。
両方ともに、今までお世話になった人たちの名前をエンドロールに入れたい。
それくらい感謝している。
今の自分を作っているのは確実にカメラを止めるな!という作品と、それらを通じて出会ってきた様々な作品や人。
それらは全て制作意欲にも出ている。
僕はどれだけこの作品から元気と縁をもらったのだろう。
まとめ
高校時代に悩んでいた進路は、一つの映画を機に一つの道になった。
当然、今の僕では相当な力不足だし、躓くことだらけだと思う。
でも、人生悩んでいる人に伝えたい。
出会いは突然やってくる。
それはいつかどうかもわからない。
僕はたまたま早かった。
悩んで、いっぱい泣いて考えて、そうしていたらひょんなことから何もかもが広がった。
失敗は怖い。
今の日本は監視社会だから。
失敗したら笑われる。
叩かれる。
今もそういうコメントをいっぱい見ているし、やられることもある。
失敗を恐れるなって無理だ。
でも、今まで僕を大切にしてくれた人たちに恩返しをするために、面白いものを作り出したい。
諦めずに、漠然でもいい。
人生が変わるタイミングがきっとある。
僕の場合は、野球人からクリエイターへの一歩。
カメラを止めるな!キャスト、スタッフ、感染者、そしてその他僕と関わってくれた方々。
本当にありがとうございました。
今後はゲーム制作だけではなく、当然チア部、映像制作なんかも力を入れていきます。
今後とも顔だけ成年の未成年を支えてやってください。
以上、たった一つのインディーズ映画に、人生を変えられたというお話でした。
アイスクリーム食って映画でも観ましょう。
りっと。